こんにちは、ミナトとミライです♪
横浜には、誰もが一度は食べたことのある有名グルメがいくつもあります。
でも、その中に「実は横浜で生まれた料理」があるってご存じですか?
たとえば、ナポリタン。ドリア。プリン・ア・ラ・モード。
さらにはシウマイ、家系ラーメン、サンマーメンまで!
「えっ、これって横浜だったの!?」と驚くような料理が、実はたくさんあるんです。
しかも、発祥の背景や文化が面白い!
そして今も、本場の味がちゃんと横浜で楽しめます!
「ただのガイドブックには載っていない、横浜の“味のルーツ”を知りたい」
そんなあなたにぴったりな、ちょっとディープで、おいしい旅へ――
さあ、横浜発のグルメストーリーを一緒に巡りましょう!
この記事でわかること
✅横浜発祥のグルメ10選
✅各料理が横浜で生まれたエピソード
✅今でも食べられる“発祥のお店”情報
スパゲッティ・ナポリタン
発祥:1950年代初頭(昭和20年代)
発祥店:ホテルニューグランド

● 発祥と発祥店
ナポリタンが生まれたのは、1950年代初頭の横浜。発祥の地は、あの有名な「ホテルニューグランド」。戦後、横浜に進駐していたアメリカ軍の影響を受けて誕生したと言われています。考案したのは、ホテルの2代目料理長・入江茂忠さんです。
● 料理の概要
ナポリタンは、茹でたスパゲッティを玉ねぎ・ピーマン・ソーセージなどと一緒に炒め、ケチャップで味付けした“日本独自進化”のパスタ料理。甘めの味付けと香ばしさがクセになって、今では全国の喫茶店や家庭でも定番の人気メニューです。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

もともとアメリカ兵がケチャップをスパゲッティにかけてたのがヒントなんだって!

なるほど!でもそれを「ホテルの料理」に昇華させるってすごくない!?
そうなんです。当時、アメリカ兵が持ち込んだ簡易なケチャップスパゲッティを見て、「もっと美味しく、ちゃんとした料理にできないか」と考えた入江料理長。生トマトやトマトピューレでソースを作り、香ばしく炒めることで、洋食としての完成度を高めたのがナポリタンのはじまりなんです。
● どこで食べられるのか
ナポリタンを生み出したホテルニューグランドの「ザ・カフェ」では、今も元祖のレシピそのままにナポリタンを提供中。白い皿に美しく盛られたパスタ、レトロな内装の中でいただくその味は、まるで昭和へタイムスリップしたかのよう。ちょっと贅沢なお昼にぴったりの一皿です♪
ドリア(シーフードドリア)
発祥:1927年(昭和2年)
発祥店:ホテルニューグランド

● 発祥と発祥店
シーフードドリアの発祥は、1927年(昭和2年)の横浜・ホテルニューグランド。ナポリタンと同じく、こちらも洋食文化の礎を築いた名門ホテルで誕生した料理です。考案したのは、初代総料理長サリー・ワイル氏。スイス出身のシェフで、日本に本格フレンチや洋食を根付かせた伝説の料理人です。
● 料理の概要
シーフードドリアは、バターライスの上に海老のクリーム煮、ホワイトソース、そしてチーズをたっぷりのせてオーブンで焼いた、香ばしくてとろけるような一皿。まるでグラタンとピラフのいいとこどり。熱々でサーブされるこの料理は、洋食好きにはたまらない贅沢メニューです。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

とってもおしゃれなメニューだけど、どうやって生まれたの?

実は宿泊客のリクエストに応えて作られた“即興料理”だったんだよ!
当時、ホテルに滞在していた外国人銀行家の一人が、体調を崩して「消化に良くて栄養のある、でも洋風で美味しいものを…」とリクエスト。それに応えてワイル料理長がパパっと作ったのが、海老入りのバターライス+ホワイトソース+チーズという、まさに奇跡の組み合わせ。即興でありながらも絶品だったその料理は、やがて正式メニューとなり、日本全国に広がっていきました。
● どこで食べられるのか
もちろん、ホテルニューグランドの「ザ・カフェ」で、いまも変わらぬレシピのドリアを楽しめます。こんがり焼けた表面から立ち上るチーズとクリームの香り…スプーンを入れた瞬間に立ちのぼる湯気に、思わずうっとり。レトロ洋館の優雅な雰囲気と一緒に、ドリアの本場を味わってみてください。
プリン・ア・ラ・モード
発祥:1950年頃(昭和25年前後)
発祥店:ホテルニューグランド

● 発祥と発祥店
“見た目も可愛くて、テンション上がる!”そんなスイーツ代表・プリン・ア・ラ・モード。その発祥も、やっぱり横浜。1950年ごろ、ホテルニューグランドで生まれたと言われています。アメリカ進駐軍の将校やその家族が宿泊していた時代、彼らのリクエストがこの豪華スイーツを生んだんです。
● 料理の概要
しっかり固めのカスタードプリンの横に、バニラアイス、生クリーム、そして色とりどりのフルーツたちが大行進。チェリーにキウイ、オレンジ、パイン…もう宝石箱みたい!細長いお皿「コルトンディッシュ」にきれいに盛りつけられたその姿は、まさに“ア・ラ・モード=おしゃれに、流行りっぽく”の極みです。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

ねえ、このスイーツ、ちょっと盛りすぎじゃない?

そう?当時のアメリカの奥様たちは“プリン1個じゃ物足りない”って言ってたらしいよ
――実は、当時GHQの奥様たちから「もっと豪華で甘いものが食べたい」というリクエストが殺到。それに応えたのが、ホテルニューグランドのパティシエたち。プリン、アイス、フルーツを組み合わせて、見た目も華やかなスイーツに仕上げたのがプリン・ア・ラ・モードの始まりといわれています。
● どこで食べられるのか
発祥のホテルニューグランドでは、今も「ザ・カフェ」で当時のレシピと器を忠実に再現したプリン・ア・ラ・モードを提供中。レトロクラシックな洋館で味わう本物の味は、まさに“ハイカラ気分”。銀のスプーンで、ちょっと贅沢な午後をどうぞ♪
シウマイ(崎陽軒の焼売)
発祥:1928年(昭和3年)
発祥店:崎陽軒

● 発祥と発祥店
横浜の“駅弁グルメ”といえば、真っ先に名前が挙がるのが「崎陽軒のシウマイ」。その誕生は1928年(昭和3年)。東京駅の弁当に対抗して、横浜駅にも名物を作ろうと考えた崎陽軒の初代社長・野並茂吉氏が、「冷めても美味しい中華」をテーマに生み出したのがこのシウマイでした。
● 料理の概要
小さな一口サイズの焼売(シウマイ)は、豚肉とホタテの旨味をぎゅっと閉じ込めた一品。蒸してから冷ましても硬くなりにくく、香りも風味も落ちにくいという、まさに駅弁にぴったりの工夫が詰まっています。薄皮と程よい肉感のバランスが絶妙で、1個でも満足度が高いのが特徴。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

冷めてもおいしい焼売って、そもそも無理ゲーじゃない?

そこを実現させちゃったのが、崎陽軒のすごさなんだよね
当時の弁当は、おかずが硬くなる・風味が飛ぶなどの悩みがありました。そこで目を付けたのが横浜中華街の「点心文化」。点心職人とタッグを組んで約1年をかけて開発されたのが、ホタテの旨味と豚肉を絶妙にブレンドした、冷めても美味しいシウマイ。駅売りされるやいなや大ヒットし、“横浜といえばシウマイ”の代名詞に。
● どこで食べられるのか
シウマイは、今でも横浜駅を中心に各地の売店や直営店舗で購入可能。なかでもおすすめは「崎陽軒本店」や、限定メニューが楽しめる「シウマイBAR」など。温かいできたてのシウマイは、駅弁とはまた違った感動がありますよ!
サンマーメン
発祥:1930年頃(昭和初期)
発祥店:諸説あり(聘珍樓・玉泉亭)

● 発祥と発祥店
「サンマーメン」は、横浜で生まれた“あんかけラーメン”の一種。誕生時期には諸説ありますが、昭和初期〜戦後にかけて横浜中華街や伊勢佐木町周辺で提供されるようになったとされています。有力な発祥店は、横浜中華街の老舗「聘珍樓」や伊勢佐木町の「玉泉亭」など。
● 料理の概要
最大の特徴は、シャキシャキのもやしと野菜を炒めてとろみをつけた餡(あん)を、あつあつのラーメンにたっぷりとかけたスタイル。麺は細めのストレート、スープは醤油ベースが多く、素朴ながら深みのある味わいです。野菜たっぷり&熱々なので、身体にじんわり染み込む“ご当地ラーメン”として地元民に愛されています。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

“サンマーメン”って名前、てっきり魚のサンマを使ったラーメンかと思ってた

だけどサンマは関係ないんだよね!“生馬(サンマー)”っていう漢字が語源で、“もやし入りの麺料理”って意味らしい!
当時の横浜港周辺には、長時間働く労働者たちが多く、手軽で安くてボリュームのある“熱々ラーメン”が求められていました。そんなニーズに応えるかたちで、炒めた野菜を餡にしてのせる“生馬麺(サンマーメン)”が誕生。食べごたえがありながら野菜も摂れることから、庶民のラーメンとして定着していきました。
● どこで食べられるのか
発祥の一つとされる「玉泉亭」(伊勢佐木町本店・横浜ポルタ店など)では、今も昔ながらの味を提供中。その他、中華街の老舗や街中のラーメン店でも定番メニューとして親しまれています。「今日はあっさりだけどコクが欲しい」…そんな日にぴったりの一杯です!
横浜家系ラーメン
発祥:1974年(昭和49年)
発祥店:吉村家

● 発祥と発祥店
全国に広がった“家系ラーメン”の元祖は、1974年創業の「吉村家」。横浜市磯子区・新杉田でスタートし、その後、横浜駅西口近くに本店を移転。創業者・吉村実さんが独自に開発したそのラーメンは、のちに“家系”と呼ばれる新ジャンルへと発展しました。
● 料理の概要
豚骨と鶏ガラを合わせた濃厚な白濁スープに、太めのストレート麺。そして海苔3枚・ほうれん草・チャーシューという王道トッピング。食べる前に「麺の硬さ・味の濃さ・脂の量」を選べるのも家系ならではの楽しみ方。ガツンとした旨味と食べ応えは、まさに“スタミナ系ラーメン”の代表格!
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

博多と東京のラーメンを“混ぜたら美味いんじゃね?”って発想から始まったとか

なんか…天才のノリが雑(笑)でも、めっちゃ当たってるよね!
吉村実氏は、当時流行していた博多の豚骨ラーメンと、東京の醤油ラーメンを組み合わせ、「濃厚でクセになるラーメン」を目指しました。豚骨だけでは重く、醤油だけでは物足りない――その間を狙ったスープが見事にヒット。屋号に「○○家」と付けた弟子たちが暖簾分けし、これが“家系”という呼び名の由来になりました。
● どこで食べられるのか
本家「吉村家」は今でも横浜駅近くにあり、連日長蛇の列!また、吉村家の流れを汲む“直系店”や“インスパイア店”も横浜中に多数。濃いめの味が恋しくなったら、家系で決まり!ご飯と一緒にかきこむスタイルも定番です
牛鍋(のちのすき焼き)
発祥:明治初期(1868年頃)
発祥店:不明

● 発祥と発祥店
牛鍋は、明治初期(1868年ごろ)に横浜で誕生したとされる、日本における牛肉食文化のはじまりとも言える料理。正式な発祥店は不明ですが、当時の外国人居留地や開港場周辺で牛鍋を提供する店が次々と誕生し、広まりました。その伝統を今も守っているのが、1895年創業の老舗「荒井屋」です。
● 料理の概要
牛鍋は、牛肉と豆腐・ねぎ・しらたきなどを甘辛い割り下で煮込むスタイルの鍋料理で、今でいう「すき焼き」の原型。すき焼きが一般化する前、牛肉を気軽に食べる手段として定着したのがこの牛鍋で、味付けは醤油・砂糖・みりんをベースに、江戸の“煮物文化”と西洋の“牛肉文化”が融合した、まさに和洋折衷グルメです。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

昔の日本って、牛を食べるのって“ご法度”だったんでしょ?

うそう。でも横浜が開港して、西洋文化が一気に入ってきて…一番変わったのが“食”だったのよね
開港によって訪れた外国人が牛肉を食べる様子を見て、「牛肉=文明の味」と考えた日本人が注目したのがこの牛鍋。当初は一部の上流階級の特権料理でしたが、次第に庶民にも広まり、文明開化を象徴する“モダンなごちそう”として浸透していきました。
● どこで食べられるのか
横浜で牛鍋を食べる上でおすすめの老舗は「荒井屋」。創業から120年以上の歴史を誇り、当時の雰囲気を残す落ち着いた和空間で、国産黒毛和牛を使用した伝統の味を提供しています。わりしたで煮る「牛鍋」だけでなく、「すき焼き」や「しゃぶしゃぶ」も楽しめる名店。ランチセットも人気なので、気軽に“明治の味”を体験できます!
イギリスパン
発祥:1862年(文久2年)
発祥店:ロバート・クラークのパン屋(のちのウチキパン)

● 発祥と発祥店
日本における“食パン文化”の原点とされているのが、横浜・元町の老舗「ウチキパン」で販売されている「イングランド」。パンそのもののルーツは、1862年(文久2年)、英国人ロバート・クラークが外国人居留地に開いたベーカリーに始まります。その後、クラークの製パン技術を学んだ内木一郎氏が、1888年に創業したのが「ウチキパン」。横浜の地で、明治から変わらぬ味を守り続けています。
● 料理の概要
「イングランド」は、しっとり&もっちりとした食感の山型食パン。添加物を使わず、粉・酵母・塩・水というシンプルな素材で作られており、小麦の香りとほんのりとした甘みが感じられる、やさしい味わいです。トーストすれば外はカリッと、中はふんわり。毎朝でも飽きない“本物のパン”です。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景
開港後、横浜には多くの外国人が暮らし始めました。彼らの主食はパン。そこで、外国人のためのパン屋が生まれ、やがて日本人の中にも製パン技術を学ぶ人が現れます。ロバート・クラークのもとで学んだ内木氏は、そのレシピと想いを受け継ぎ、「日本人のための本格パン」を広めようとウチキパンを創業。以降130年以上にわたり、横浜の“朝の食卓”を支えてきました。
● どこで食べられるのか
現在も「ウチキパン」は横浜・元町に本店を構える老舗ベーカリーとして営業中。名物の「イングランド」は午前中で売り切れることもある人気商品。ほかにも、クリームパンやアンパン、サンドイッチなど昔ながらの手作りパンがずらり。観光の途中で立ち寄って、朝食やお土産にするのもおすすめです♪
アイスクリーム(あいすくりん)
発祥:1869年(明治2年)
発祥店:町田房蔵(馬車道)
分類:発祥料理

● 発祥と発祥店
日本で初めてアイスクリームが作られ、販売されたのは明治2年(1869年)。場所はなんと、ここ横浜の馬車道。販売したのは町田房蔵という人物で、アメリカ人から製法を学び、「あいすくりん」という名前で販売をスタートしました。当時はまだまだ珍しかった“冷たいお菓子”が、日本の食文化に一石を投じることになります。
● 料理の概要
「あいすくりん」は現代のアイスクリームよりもシャリッとした食感で、卵と牛乳の優しい甘さが特徴。乳脂肪分が少なく、さっぱりとしていてどこか懐かしい味わい。現代の“濃厚バニラ”とはちょっと違う、和のテイストが混じった、素朴でレトロなデザートです。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景

アイスが食べられるようになったのって、意外と最近だと思ってた…

も横浜が開港したことで、いろんな文化が一気に入ってきたんだよね。冷たいお菓子まで!
明治維新とともに開港した横浜には、西洋の食文化が次々と上陸。その中にはもちろん“冷たいデザート=アイスクリーム”もありました。町田房蔵は、氷の保存方法や製造法をアメリカ人から学び、それを日本人向けにアレンジした「あいすくりん」として販売。1個あたりの価格はなんと現在の価値で約800円! それでも話題になり、日本初の“洋風スイーツ”として注目を集めました。
● どこで食べられるのか
現在では、当時のレシピを再現した「あいすくりん」が「横濱馬車道あいす」などの商品名で販売されています。観光施設やお土産店で見かけたらぜひお試しを。暑い日に馬車道を歩きながら食べる「あいすくりん」は、明治の横浜を感じさせてくれる特別な一口です♪
中華まん(ブタまん)
発祥:明治〜大正期(具体年不明)
発祥店:中華街の複数店舗(例:江戸清)
分類:独自進化

● 発祥と発祥店
中華まん自体の起源は中国ですが、日本で“食べ歩きグルメ”として定着させたのが、ここ横浜中華街。明治〜大正期にはすでに中華街で肉まんが販売されていた記録があり、現在のスタイルに進化させた代表的なお店の一つが「江戸清(えどせい)」。1894年創業の老舗で、ジャンボサイズの中華まんを看板商品としています。
● 料理の概要
中華まんは、豚肉や玉ねぎなどの具材を、ふわふわの生地で包んで蒸し上げた点心の一種。横浜の中華まんはとにかくボリュームたっぷり!
1個が顔サイズ!?と思うほど大きくて、豚肉のジューシーさ、皮の甘み、そして肉汁がジュワ〜ッとあふれる…まさに「歩くグルメフェス」状態です。
● なぜ発祥とされるのか/誕生の背景
ミライ「中華まんって、いつの間にか“観光地のソウルフード”になってるよね」
ミナト「しかも1個で腹が満たされるっていう、最強説…!」
横浜中華街には、長く中国からの移民や料理人が暮らしており、点心文化が根付いていました。その中で“おやつ感覚で食べられて、かつしっかり満足感がある”商品として進化したのが、横浜流の中華まん。手に持って食べられるスタイル、そしてビジュアル映えも意識したジャンボサイズ・ユニークな具材などが人気を集め、観光地の必食フードへと成長しました。
● どこで食べられるのか
代表格は「江戸清」や「皇朝」といった中華街の名店。店頭には常に蒸したての中華まんが並び、肉まん・エビチリまん・フカヒレまん・チャーシューメロンパンなど種類も豊富。1個から買えて食べ歩きもOKなので、お腹の空き具合に合わせて楽しめます♪
まとめ:横浜の味には“物語”がある!

ナポリタンもドリアも家系ラーメンも…まさか全部“横浜生まれ”だったなんてびっくり!

でしょ?ただ食べるだけじゃもったいないくらい、どの料理にも“物語”が詰まってるんだよね
横浜は、日本における“西洋文化の玄関口”として、たくさんの新しい味を取り入れてきました。
でもそれだけじゃない。
そこからさらに、日本人の感性や工夫で“独自の進化”を遂げたグルメたちが、ここにはあります。
ナポリタンやドリアのようなホテル発祥の洋食、
家系ラーメンやサンマーメンといったラーメン文化の先駆け、
中華まんやシウマイなどの点心グルメの進化形──
一つひとつに、横浜らしい歴史と暮らしの香りが詰まっているんです。
観光で横浜を訪れる方も、住んでいる方も、
ぜひ“発祥の地”で、本場の味を体験してみてね!
ミナトとミライのブログでは、地元民ならではの視点で、美味しいカフェやレストランも紹介しているよ♪
お散歩やデート、記念日に最適なお店もたくさん!
是非のぞいてみてね!

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